水害(その39)

「今回の水害がどのように発生したのか?」をお会いした方々に度々説明していました。
かなりの回数説明したので、説明上手?になったような気がします。
 『想定外の大雨が降り続け、
  本流の梯川から60の水が流れ、
   支流の滓上川からも60の水が流れ
    合流地点からは100しか出ていかないから
     20の水は中海町に入り込んだ』と・・・
こんな説明をしているうちに、
なぜなのか?私の頭にある歌が流れるのです。。。

♪ 梯とー滓上川のー落合にー
  せせらぐ水の清らかさー
   美しいーわがふるさとよー
  われーら ここにー
   智慧をみがき からーだきたえ
    いざー友よー手をたずさえて
     おーきな希望ー育てていこーぉ♪
♪♪仏生寺ー丘の東にー白山のー
  かがやく雪の明るさよー
   そそり立つ われらが母校ー
  われーら ここにー
   心みがきーひとーみ清く
    いざー友よー手をたずさえて
     ゆーたかな未来ー開いていこうーぉ♪♪

母校の中海小学校の校歌です。
水害のことを考えると脳裏に流れる校歌・・・
『♪梯とー滓上川のー落合にー♪』だからなのでしょうが・・・
水害と何らかの関係があると思った私は、調べに調べて調べました。
(※分かりやすくお伝えするために詳細は省きますm(_ _)m )
1873年・・・“中村小学校”が民家内で創立
1884年・・・小学校校舎が新築

1896年・・・新築から12年目に洪水被害(明治29年)
 当時の校長の手記『8月2日、梯川および滓上川の堤防が全壊して濁水氾濫。
 中村、軽海村、荒木田村の全域被害。深い所で2.3m。
 校舎は激流のため傾斜。壁は脱落。ほとんどの備品が流出。』
1901年・・・上記水害から5年後、場所を変えて新校舎を落成

1959年・・・落成から58年目に大洪水発生(昭和34年)
 『8月14日、午前11時が最高水位で大人の胸当たり。
 梯川と滓上川の合流地点であふれた。
 床上浸水20戸、床下浸水30戸、町内半数が被害。
 孤独状態となった中海町は、市から舟が運ばれての救助活動あり。
 犠牲者おらず。水稲・農作物への被害甚大。』
1970年・・・大洪水から10年後、場所を変えて仏生寺山に新校舎竣工(現在の場所)

1972年・・・校歌制定(作詞 吉田三郎)

水害の被害があってから5年後に場所を変えて校舎を建て、
更なる水害があって10年後に山の上に校舎を建てていることは、
「水害と関係ない」とは言えないし、校歌の内容も見方によっては・・・
『ようやく安心できるところに校舎が出来た!
 さぁー!手をとりあって、将来を築こう!』とも取れなくもない(私だけ?)。
真相は分かりませんが・・・実際に水害復旧中の私の頭に流れていたのは、中海小学校校歌でした。

そして・・・調べていくうちに驚きを発見してしまいました!!!
1873年(明治6年)・・・小学校創立
1923年(大正12年)・・・創立50周年記念式
1973年(昭和48年)・・・創立100周年記念式
2023年(令和5年)・・・創立150周年!!!???
今年?150周年?知らんだ!知らないの私だけ??!
【・・・水害ブログ・・・最終回につづく】

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